rtyaoって何て読むの?

継続は力なりを体現するブログ

占い

よし今日もブログ継続、rtyaoです。いまは長い長い電車の中でこの文章を書いてます。年明け2日目みなさんいかがお過ごしでしょうか?

 

初詣、行きましたか?ぼくは行きました。年に一度のビッグイベントです。宗教に疎いぼくでもさすがに知っています。

 

元旦の日はあったかかったですよね。そもそも天気が良かった。こんなさむがりなぼくでも神社に行けました。チャリで20分のとこです。

 

いや外があったかかったんじゃなくてユニクロのダウンが素晴らしいあたたかさを提供してくれただけなのではないのか?買ってよかったスマートダウン。

 

ユニクロのスマートダウンのおかげで寒さを感じることなくもうでられたわけですが、初詣ってなんかあらゆる所作というか行動にさまざまな説があってめんどくさいですよね。

 

にれいにはくしゅいちれいってうったらちゃんと変換してくれ。二礼二拍手一礼も遠い昔に誰かに言われた通りに続けてるだけだし、おみくじはひいたら指定の木とかひもに結んで行くとか願いが叶った時に初めてひもに結ぶとか。

 

ぼくは宗教に疎いので何にも正確なことはわかりません。二礼二拍手一礼については訪れた神社に書いてあったので少なくともそこでは正しいようです。

 

おみくじに関してはとりあえず財布に入れといてあとで結ぼうと思うのですが、例年次の初詣まで財布に残ったままです。めんどくさがりの本領発揮ですね。

 

正直神様に願いを叶えてもらえるとは思っていません。だって普段信仰していないのに都合のいい時だけお願いするなんてムシがよすぎますよね。普段無関心だからどんなときでも無関心であろうという意地でもあります。

 

こんなこと言うとバチが当たりそうという感覚はあるので、「神様に願いを叶えてもらえるとは思っていません」ではなく「神様にお手を煩わせるわけにはいかないと思っています」としましょう。ぼくがもうでた時に願うことは、あくまで神様的にお手すきだったらついでに叶えてあげてくださいぐらいのテンションということです。

 

あの場で本当にお願いしてもいいのは、日常で起きた良いことも悪いこともすべて神様に結びつけて考えている人だけだと思います。つまり神道?という宗教を信じている人。「こんな良いことが起こった神様ありがとう」とか「こんなにひどい災害が起きるなんて神様がお怒りに違いない」とかそういう思想にナチュラルになる人です。信心深い人の優先順位は高いはずです。神様レベルだとそうでもないんですかね。

 

こんなことを言ってますがぼくは宗教を否定してるわけではありません。人間何かにすがらなければ生きていけないとは思いますし、宗教を信じているひとはたまたまその対象が神様であるということだと思います。ぼくだってこの世からコカコーラがなくなれば身を投じる程悲しくなるだろうし、ペットや恋人が生きがいの人もいると思います。周りに危害を加えない限りそういう自由は保障されるべきだし、関係ない人の信仰に口を出す権利はぼくにはないです。反対にぼくも他人にコカコーラのことをとやかく言われる筋合いはありません。

 

そして本当に信心深い人しか初詣に行くなという過激な意見も持ち合わせておりません。ぜんぜん自ら行っちゃってますし初詣。仮にその意見のもと初詣を否定したとて、何か日本のお正月が変わるわけではありませんね。そんなことに割く労力もございません。

 

ぼくが今日言いたいこと、初詣って宗教的なイベントというよりはみんなが集まる理由みたいな意味合いが大きいなということです。2020年になるまでに何万回と言われてきたであろうことを改めてぼくが言います。

 

日本人の多くは無宗教だと思います。具体的なデータは持ってないのですが、ぼくの周りで何かを信仰している人はほとんどいませんしみなさんも感じるところだと思います。感じない人ももちろんいると思いますし、いてもぜんぜんだいじょぶです。ただ言いたいことの前提が崩れるのでこの先読むのはダメです。

 

それなのにみんな1月1日になったら、新年が明けたらこぞって神社に押し寄せ、時に列を成していち早くもうでようとするのです。一体そのうちの何人が少しでも早く神様に挨拶をしようと考えているでしょうか?

 

ぼくは本当に孤独だったらもうでに出かけるのも面倒くさいので行かないと思います。誰かに誘われて毎年行っています。家族とか友達とか恋人とか、そういう人も多いんじゃないでしょうか。

 

人に声をかける口実になりやすいんじゃないんでしょうか、初詣に関わらずこうした行事は。広く国民に浸透している数少ないイベントですよね。毎年海に行く人もいれば、海に行きたくない人もいます。でも初詣誘われて拒む人って海よりはいないんじゃないでしょうか。

 

さっきから文末がでしょうかばっかですね。推測に基づく議論するに値しない意見だということは自明ですが、ブログなんてそんなもんですよね。少なくともぼくのブログはそうですね。

 

個人的に飲み会も初詣もあんまり変わらないと思います。集まる口実という意味で。家族が年に1度集まるための年末年始の初詣、ぜんぜんアリですよね。家族で飲み会はやらないかもですけど。友達と集まるのに飲み会が定番で、1月はちょうど初詣に行く風潮があるからそれが利用される。それだけのことで結局のところイベント自体より人と会うことに重きが置かれているという点で、イベントの内容はなんでもいいのです。と思うのです。

 

こんなこと言うと、神道を信じる方はそんなことはないと言いたくなると思いますし、神にお仕えの方は否定したくなると思います。でもそのような方々からすればこの意見は間違っている、ぼくからすればこの意見はある程度理解が得られる、それだけのことではないでしょうか。宗教的意味合いはまったくもって否定してません。念のため。そしてこのパラグラフは予防線です。

 

なんだかダラダラ書きすぎて何が言いたいのか自分でもわかりません。ぼくの弱みです。自分の意見を整理して人に伝えることが苦手です。この場合はそもそも意見がまとまっていなかったんだと思います。面接が苦手なわけです。

 

ここまで書いたうえで上記の内容はあんまり覚えていませんが、要約すると、初詣は宗教的イベントではありますがその本来の目的から離れて人と人とが集まるための口実にもなっていることが、ぼくの周りで多いというだけのことです。

 

これだけのことを言うのにかんなり労力を費やしました。しかもタイトル関係ないし。もう疲れてしまったので本来言いたかったことは書けません。タイトルに関することです。また気が向いたら話します。

 

そろそろ目的の駅に到着しそうです。また改めて書き始めるのにさらに時間を要しそうなのでここでやめときます。電車のようにぼくの文章も分岐して行くはずのない駅に来てしまいました。上手いですね。今日のぼくは冴えてます。

 

ぼくはといえばきちんと予定していた駅に着いたので安心してください。本当にもう着くのでそれでは〜