rtyaoって何て読むの?

継続は力なりを体現するブログ

1日を延長してまでリンゴをたべる

どうも、タイトル通りリンゴかじってるrtyaoです。たまに食べるとうまいですね。栄養が含まれてるから皮ごとがいいらしいです。

 

お話ししたかと思いますが、仕事がつらくて、1日8時間も拘束されるのありえなくない?ってことで夜更かししがちな日々です。17-18時ごろおわってご飯食べてお風呂入ってたらあっという間に22時とかですよ。自分の時間がない!というわけでよく朝の時間を前借りして夜を長くしてます。

 

次の日が辛くなるだけなのですが、人間遠くの大金よりも目先の小銭に目が眩むもので、今の自分を出来る限り幸せにしてしまいます。その結果お腹減ったのでたまたまあったリンゴも丸かじりしています。スマホだと片手でリンゴ食べて片手で入力と、マルチタスクできるんですね。ますますPCでなんか書けませんね。と、文章打ってたらリンゴ食べ終わりました。

 

リンゴの後はコーヒー飲みましょ。といってもドリップでもインスタントにお湯注ぐでもなく。ペットボトルでも缶でもございません。紙パックです。

 

ぼくは食後にコーヒー派なのですが、ブラックが飲めません。必ず牛乳混ぜなきゃいけないので、最初はペットボトルでアイスコーヒーと牛乳パック1Lずつ買ってました。大量に飲むので大量にカフェラテの原材料があるのはいいことですね。

 

ただ一つ問題が発生します。めんどくさい。毎回ペットボトルと紙パック取り出して注いで、夏はそれだけでいいんですが、冬は温めなければいけないので、その手間もプラスするとぼくのやる気のなさでは辿り着けないゴールなんですね。

 

ぼくはお腹が弱いです。これは小学生の頃からの伝統のようなものなのですが、慎重に扱わないとトイレ真っしぐらです。なのでお腹が冷えないようにいつも気をつけています。お腹が冷えると腹を壊すという当たり前の問題に、最近やっと気づけたので、この冬は冷たい水ではなく白湯を飲んでます。お湯に水混ぜて少し覚ましたやつを白湯って言うらしいです。ちなみんでおきます。

 

オマケに、コーヒーと牛乳という液体自体にも耐性がありません。ブラックコーヒーとか飲むと普通にお腹ゴロゴロです。牛乳も然り。なので冬場は特に、温めたカフェオレでなければいけないのです。夏はしょうがないし気持ちいいので冷たいカフェラテ作って飲み干します。腹も壊れます。

 

さて冬のカフェラテどうしよう問題についてぼくは考えました。食後とか家にいるふとしたときに飲みたい。でも牛乳とコーヒーそれぞれ買ってあっためんのはめんどくさい。

 

あたためることは諦めました。あたためたら後は冷めるだけなので。冷蔵庫はありますが、温蔵庫はありません。予測変換でパッと出てきたから実はあるのかな?あたための手間を省くとすると、できる最大の対策は、そう、常温です。

 

牛乳は紙パック買っちゃうと冷蔵庫にいれるしかなくなってしまいます。なので既製品のカフェラテをもう買っちゃうことにしました。しかもこのご時世リモートワークが可能になっているので、外よりも家で飲むことの方が多い。このこともカフェラテをストックするという決断を後押ししてくれました。

 

どういうわけか牛乳が入っていても既製品のカフェラテは常温で保存できるものが多いですね。まあそのことは置いといて。

 

最初に買ったのは缶のカフェラテでした。ダイドーの薄茶色い背景にコップ入りカフェラテがスプラッシュしている感じのやつです。

 

本当は会社の自販機に売っていたジョージアのカフェラテが良かったのです。青い背景にコップ入りアイスカフェラテがカランと涼しげにスプラッシュしてる感じの。ただあちらは夏限定なようで、ぼくが探し始めた頃にはネットでは売ってなく、会社の自販機からもなくなりました。秋の始まりはカフェラテとの別れに気付かされました。

 

そんなこんなでダイドーのカフェラテを買ったのですが、これが結構甘い。そもそも無糖のカフェラテはあまりないのですが、カフェラテっていうと特に甘すぎるものが多すぎる。ぼくの理想は甘すぎずだけど無糖じゃないギリギリのラインを攻めてほしいんです。そこからはあまりにもかけ離れたテイストでした。

 

一回で20缶だか40缶だか買うので一度買うとなかなか消費しきれないのですが、仕方なく飲むたびに結構身体が心配なくらいの甘さで、ただ身体に悪いものっていうのは今回も例外なくおいしかったんですけど、さすがにやめとこうとなりました。

 

やっとの想いで飲み切ったら第二の旅路へと足を踏み出します。次のストック候補を考える中、ふとダイドー缶に飽きた時にコンビニで買っていたやつを思い出しました。名をマウントレーニア

 

これはぼくのカフェラテの理想に結構近い、特にエスプレッソは、のでこいつをストックすればいいじゃないかと。コンビニだと150円くらいするけど、ネットで大量に買えばもっと下がるだろうと、カフェラテ難民の頭には安泰の2文字が浮かんでいました。いわゆるボリュームディスカウントですね。かっくいー、カタカナ使っちゃって、あの時は調子に乗ってました。

 

そう、皆さんなんとなく話の流れ的に予期せぬ展開になると思われたのではないでしょうか。ここで期待通り予期せぬ展開が待っていました。なぜかネットの方が高い。10本で2000円越えてしまう、いやまとめ買いでなんで3割値上がりすんねん。そう思わずにはいられない強気の値段設定でした。

 

自分の計算ミスではないか、何回も確認しました。ただ10の割り算を間違えるほど愚かではありません。難民は難民のまま、何も変わっていなかったのです。コンビニに箱買いしたいと頼もうかとも思いました。が、いつも行ってるコンビニの店員に変な目で見られたくないという羞恥心がぼくの足を止めました。

 

勝手な思い込みで必要以上に大きな心の支えとなっていたマウントレーニアを失ったぼくは、次なる旅路へ踏み出さなくてはなりませんでした。

 

Amazonでくる日もくる日もカフェラテと検索しました。いい感じに安くておいしいものがないか、もしかしたらマウントレーニアが安くなってないか、はたまた夏限定のジョージアが売られていないか。かすかな期待を抱いては裏切られてきました。

 

ところで容器の形状としては缶にこだわっていました。ペットボトルだとなんとなく口当たりが悪くて、特に夏は缶で飲みたい気持ち、わかりますか?

 

ふとサジェストされたのは紙パックのものでした。そうか、その手があったか。マウントレーニアで飲んでて何故気づかなかったのか。あれは紙パックではないかもしれないが、ストローで飲むという点では同じ。つまり、ぼくにとってストローの口当たりは悪くないということが判明し、紙パックという提供形態が候補に突如入ってきたのです。

 

おいおいおい、やっぱりな、ため息しか出ません。どいつもこいつも甘そうな、ぬるい見た目してんな。当時を振り返るとこう言ってたと思います。念のため成分やレビューを確認しては落胆するを繰り返す。これはぼくの求める"カフェラテ"じゃない。

 

その中の1つでした、ピクニックシリーズは。ピクニックのカフェラテ?白と茶色でこれもまた甘そうだな。最初はこんな感じでページに飛んでスクロールしていきます。レビューに行く前に目に入ったのは全体的に茶色い、カフェラテとはまた違ったコーヒー系ピクニック。商品名に目をやるとそこには

"エ ス プ レ ッ ソ"

 

_________これだ。

刹那、画面上に表示されたその茶色いピクニックのカートに入れるボタンが押下された。わからない、わからないがなぜか勝利の確信が沸々と湧き上がる。ボタンのタップはすなわちこの戦いに終止符を打つことと同義だと、理解するのに時間はかからなかった。

 

翌日届いたソレを飲むと、これがぼくの求めていた味だと、甘すぎずほのかな苦味を残した喉ごしが、ぼくを納得させた。

 

こうして感動的だがどこか予定調和のような出会いによって、ぼくのカフェラテライフは安定期に入っています。が、これからまた荒波が来るかもしれません。物事に絶対はなく、永遠の安定もありえないのですから。

 

今結構コーヒー系の日常のドリンクの満足度が高いって話をダラダラと書いてしまいました。思ったより長く書いちゃって最後は勝手に盛り上がってしまいましたが、毎日おいしくピクニックの紙パック飲んでますよってことです。常温保存もできるし安くていっぱい買えます。一本の量もちょうど良いです。

 

当然こんなに長いとリンゴ後のピクニックも飲み干してるので後は寝るだけです。今回はカフェラテをストックしてますよっていう話でした。たまにはまとまりのない終わり方でね。ではでは。

何もすることがなくなった時の出力

こんばんは。今回も深夜投稿rtyaoです。なんだかんだ連夜投稿することとなりました。まだ書き始めなのでわかりませんね。書き終えられたら連夜投稿になります。

 

今はお風呂に浸かりながらこの文章をうっています。長風呂になりそうで、手元の水分も切れており、のぼせるか書き終えるかのデッドヒートの中、一文字一文字を積み重ねていきます。中途半端はいやなので、途中で出るとかはしません。必死に、でもダラダラと書き続けます。応援してください。

 

一個前の投稿でタイピングできるようになったと申し上げました。なのでこの文章もカタカタタッタカターンと書き上げたいところですが、中々PC開いて立ち上げてブラウザからはてなにアクセスして、という一連の流れが自分にとっては手間すぎて、相変わらずスマホをヒュンヒュンしています。

 

スマホであればこうやってお湯船からでも書けるのです。PCだとデカイし安定した置き場もないので、利便性に劣ります。スマホが普及する前の時代であれば、このブログは存在しなかったでしょう。そう考えると感慨深いですね。

 

本当に便利な時代に、人生のピークがきて良かったなと思います。もう少し後だともう少し便利になっているかもしれませんが、スマホが普及していてよかったです。怠惰な自分でもこうして電子の海に文章をかろうじて残せるのですから。

 

ブルーライトだとかストレートネックだとか、大勢の人が使っている便利なものは、デメリットも目立ちがちです。そこ差し引いてもほんとに便利すぎるのですが、個人的にデメリット、特に上記2つはメリットとともに享受してしまっています。なのでブルーライトカットメガネにして、ストレートネックに効くストレッチを毎日やってます、3分くらいですが。

 

以前はベッドで寝る前にネットサーフィンしてたら、目が乾きすぎて涙が出るくらいのドライアイだったのですが、今はこのメガネのおかげで目へのダメージは軽減されました。ちゃんとカットするやつなので、レンズも内側から見ると黄色っぽいですし、外側から見るとカットしたブルーライトが反射して青っぽく見えます。ストレートネックも1ヶ月ぐらいストレッチ続けているので、少しずつ治ってきてるのではないでしょうか。

 

というわけで現在スマホのメリットしか受けていない状況です。仕事から解放され疲れ切っていても手のひらにあれば、写真も動画もSNSも見れます。これがPCしかなかった時代だったら、ぼくは定時後も休日も何もできず、ただゴロゴロするしかなかったでしょう。

 

こうして長風呂したい時でもAmazonで買いたいもの探せますし、youtubeで動物の動画も見れます。ツイッターで適当に他の人の文章や写真も見れます。

 

そう考えると昔長風呂するときって一体どうやってたんでしょうね。ぼくはスマホなかったら、湯船浸かってもやることないしなんだか疲れるのですぐ出てしまいます。本とかですかね、ぼくはあまり読みませんが、濡れるリスクがスマホよりデカいので、風呂ではなおさら読まなさそうです。

 

上記の通りスマホさえあれば2時間くらい浸かってられる中毒状態なのですが、さすがにご飯を食べる時とかは見ないですね。よくいるじゃないですか、1人だとスマホ見ながら食べてる人って。ぼくはスマホ見てご飯食べてだと両方集中できないので、食べるときは食に集中します。全然食事中にスマホいじってても良いとは思いますけどね。

 

ただですね、さすがに食事以外休日1日中スマホいじってるとなると、見たいものとか消費しつくしてスマホでやることがなくなってしまうんですね。こんだけ広い世界の色んな情報をインターネット経由で集められるこの装置にぼくは飽きてしまうことがあるんです。皆さんもあると思います。

 

ツイッターは2時間ぐらい見てたらタイムライン全部見終わってしまいますし、youtubeも犬とか猫とか海外おもしろ動画とかダンスとか見るんですけど、やっぱり限界がありますね。興味のあるジャンルを広げていかないと、無限にアクセスできる情報の中でもアクセスしたいものが限られてしまうんですね。

 

AmazonもやっぱAmazonで買えるほしいものってそう簡単にポンポン出て来ないんで、YouTubeで「Amazonで買って良かったもの」とか検索して、なんとか興味あるものを見つける感じです。意外なほしいものとか見つかるとなんだか世界が広がった気がして、商品レビューとか見ちゃいますね。でも「「ほしいもの」にしたいもの」を自ら探しに行くのって何となく意味わかんないよなって思ってモヤモヤします。

 

そう考えると情報が溢れててもアクセスできるというかしたいと思えるものって限りがあるなって思って。興味のある物事を増やしていかないといずれこの便利な機械にぼくは完全に飽きてしまうんじゃないかと恐れを抱いています。ちょっとです。

 

でもすでに興味あるジャンルのコンテンツは日々更新されていきますし、中々その恐れが現実になることはないのかなとも感じますけどね。それにその頃にはもっともっと便利な機械がぼくたちの生活を豊かにしているでしょう。なので恐れはちょっとです。

 

とか考えながらふと気づいたのは、僕がやってることは全て情報を吸収してるだけで、つまり自分へのインプットだけなんだなってことです。他の人の文章なり動画なりのアウトプットを見て楽しんでるだけで、自分からは何も発信してないなと。

 

それはそれでいいんですが、ただ自分もインプットだけじゃなくアウトプットできたら、この機械ももう少し長く楽しめそうではないかと思った次第です。

 

話は逸れますが、社会人になって耳慣れない言葉を聞くことが多くなりました。ミーティングぐらいならわかるのですが、マストで、リスケ、アサイン、コミット、OJTなどなど。カタカナとか英語で溢れてませんか。

 

ぼくそういうの使うの本当に恥ずかしいんですよね。日本語にない概念を表せるならまだしも、いやそれ日本語に直したら○○やん、みたいな。本当聞くのもそうだし、自分が言うとなると赤面して汗が出てしまいます。

 

なのでインプットとかアウトプットとかさっき使ってましたけど、ちょっと恥ずかしいです。でもこれって日本語に直すと入力と出力ですよね。直訳ですけど。あれ、さっきの文章も「他の人の出力を楽しんでいる」としたらちょっと変というかわかりづらいですかね。この2つはいいのかな?

 

こうして言語が変容していくのでしょうか。インプットとアウトプットはもう日本語に馴染んでいる、というか少なくとも僕の中ではそうなのかもしれないですね。使うの恥ずかしいとか言っといてちょっとそれこそ恥ずかしいですね。長風呂も相まって汗ダラダラです。

 

話は逸れましたが、他の人の考えの入力ばかりでなく、自分からの出力を増やせばより楽しく過ごせるのではないか、そう思ったところまで話が進んでいました。

 

ぼくとしては動画を撮るのはめんどくさいし顔も出したくない、ツイッターもなんか嫌だなとか思って、このブログが結果として最適なのかもしれません。ただ急にYouTuberになったりツイッタラーになるかもわかりません。ぼくの思考も変わっていくものなので、言語と同じように。

 

なのでこうして今お風呂場でブログをいそいそ書いてます。ただ散々情報をインプットしつくして、やることがなくなった時にまだ元気があればブログを書くぐらいなので、如何に優先順位が低いかということです。

 

ぼくというか人間はそうなのかもしれませんが、情報は発信する方が受け取るより疲れますね。色んなことを知れたり面白い動画を見たほうが新鮮で楽しい体験になります。一方自分からの発信は、個人的にあまりメリットがないですね。仲間が増えたり誰かを元気付けたり、知識を分け与えたりできそうですが、ぼくには労力に見合ったメリットではないかなと思いますし、分け与える知識も持ち合わせてないです。

 

そんなこんなで何が言いたいのかわかりませんが、ぼくにとってブログ更新は本当にやることがないときかふと気が向いた瞬間しかできないということですね。継続は力なりと言いますが、アウトプットの継続は本当に疲れるので、それが出来る人は尊敬します。

 

出来るだけがんばりますが、上記の通り最優先から最も遠い状況なので1年のブランクが空いたことも許してください。これでも継続は継続ってことにさせてください。

 

なんとかのぼせる前に終われそうです。冒頭を読み忘れた方に申し上げると、今お風呂の中でこの文章を書いています。のぼせるかどうか耐久していましたが、案外湯温が時間とともに低くなるので、余程体調が悪くなければいけますね。とかいって油断してると失敗しそうですけど。

 

それに加えて電池が残り20%ぐらいで書き始めたのでそこもデッドヒートでした。書き終えるのが先か、電池が切れるのが先か、体力が尽きるのが先かという過酷な争いでした。今日は運良く勝てました。

 

以上、土曜にして何もやることがなくなったrtyaoがお送りしました。今から出てドライヤーとかします。おやすみなさい。

金曜の夜のダラダラ感

こんばんは、去年の年始に書いたっきりブログ放置していました。改めてrtyaoと申します。あけましておめでとうございます。皆様新年いかがお過ごしでしょうか?

 

rtyao的には去年が本厄だったので、やっと明けてくれてほんとに嬉しいです。かなり厳しい年でしたね2020は、コロナを差し引いても個人的には。

 

2019年の年末と20年の年始にチョロっと書いただけのブログを読み返すと分かる通り、当時ぼくは卒論書いてました。あれから順当に時は進み、社会人1年目としての一歩を踏み出して今に至る感じです。

 

代表的厄年的出来事としてはやっぱり配属先の希望が通らなかったことでしょうか。ぼくは曲がりなりにも外国語を学習してきて人並みには話せるのでグローバル系の仕事がしたいと思ってました。

 

就活中もあらゆる企業でグローバルグローバル叫んでましたし、外国語を生かして御社に貢献とほざいてました。就活を通して自分は型にハマるしかない平凡な人間だと再確認しました。

 

客観的にそう自分を見るとやはり恥ずかしさはあるものの、就職できないと生活できません。うわついた言葉を並べた中身の伴わないトークでなんとか騙し騙し内定に漕ぎ着けて、今の会社に至るわけです。

 

ところがどっこい、グローバル言うてたのに配属先はどローカルの組織ではありませんか。首都圏配属ではあるものの、グローバル的サムシングとはほとんど関わりがございません。

 

この時点で私がほんの少しだけ他の人に勝っているつよみを失いました。オマケに会社の事業自体には少しも造詣がありません。当時のぼくは砂浜に野放しにされた迷える子羊です。

 

今はどうかというと何とか先輩にくらいつき、砂浜の先の海はしょっぱくて飲めないんだとわかったぐらいの業務理解度です。わかりづらい例えですが、要するにほとんど理解できていない状況です。

 

半年近く業務に携わってもやはり向いてないなと思う仕事でした。配属部署が違ったら学習スピードもモチベーションも違うんだろうなと思ったり。

オマケに上司が厳しい。ぼくができないことをハッキリと口に出しておっしゃいます。オマケは2個目ですね。

 

そんなこんなで、2020はコロナに始まり、仕事も不調というかマッチングミスを引き起こされ、何もかもやる気が出ない上に、個人的な不幸もあり最悪の年となりました。まあ大多数の人にとってコロナで最悪の年にはなっているかと思いますが。

 

何とかいいことを考えましょう。こういうのは本厄だからと悪いことばっかり思い出そうとするからそうした記憶が定着しちゃうんです。

 

タイピング、できるようになりました。小さなことですが入社前はできなかったので嬉しいことです。卒論はぽちぽち打っていたので結局2万字も書けなかったですね。内容がなかったわけではなく、物理的スピードに阻まれました。

 

兼ねてからタイピングできたらかっこいいなーと、友達のタッタカターンというPCさばきを見ていて、ひそかに憧れていました。昔父親に回転寿司のお皿の上に書いてある文字をタイピングしてくゲームみたいなのやらされて、全然できなくてこういうのはぼくは苦手で結構時間かかるんだろうなと思ってました。

 

でも入社したらあっさり1ヶ月かからずできるようになりました。特に会社の指示ではなかったのですが、やはりやる気を出すことが大事ですね。やるか、やらないか、それだけなんです。そんな簡単な言葉で仕事も割り切れたらいいんですけどね。

 

仕事していて確実に成果と言えるものがタイピングぐらいしかなく、日々新しいこと、難しいこと、気を使うことの連続で、ストレスがいっぱいです。今日は金曜日が終わって土曜日に突入していますが、平日できない分夜更かししちゃっています。

 

この仕事と睡眠時間減少によるストレスをいかに解決するかが喫緊の課題とrtyaoの中でなっております。最近食べていなかったおかしや甘い飲み物に快楽を求めてしまっているのが現状です。

 

大学生から急に社会人になることで、なんというんでしょうか、すごい小学生とか幼稚園の頃が天国のように感じられて、本当に戻りたくなったんですね。何の責任もない状態で遊んだり自由に過ごしたいと。

 

時間を戻すことはできませんが、思い出に浸ることはいつだってできます。手っ取り早いアイテムが僕の中ではおかしとジュースだったのです。

最近グミにハマっていて、グミはコンビニで新しいの見つけたらとりあえず食べてみよう的なスピーディーさで消費してます。最近はペタグーグミがブームです。

 

あとはプッカですね、懐かしいですよね。あれ名前付きで色んな形のプッカがあるじゃないですか、なので全部ティッシュの上に出して確認しています。10種類あるうちの大体6種類ぐらいしか揃いません。ピーノ、お前出てきすぎやねん。

 

ねるねるねるねにも手を出そうとしましたが、さすがに大の大人がプラスチック容器に水入れて粉入れて混ぜ混ぜとかは世間体的にできないです。

 

プロ野球チップスは買いました、WBC代表版でした。ぼくちっちゃいころ野球やっててプロ野球チップスまじで楽しみだったんですよね、2枚入りの。ロッテファンだったんですけど、今回はロッテの選手代表入りしてなかったみたいです。まじで知らない人でてきてそのままどっかいっちゃいました。

 

ここまで何の話かわかりませんが、人間抑圧されると反動がくるというか、幼児退行じゃないですけどちっちゃい頃とってた行動を繰り返して現実逃避している今日この頃です。大学では当たり前だった夜更かしも仕事があるとできないので、お休みの日にドドっとしてしまいます。現在AM2:48です。

 

大した仕事もしてないのにね。でもこうしたストレスとか悲しみって他人と比べることではないと思います。ぼくよりあの人の方が苦しんでる、もっと仕事が大変だから、とか。そういうのは考えないようにしています。考え出したら止まらないし、感覚がマヒして気づいたら身体が動かないほどに心が厳しいことになると思うので。

 

何かひとつメッセージのようなモノを放れたのではないでしょうか。この広い広い電子の海に浮かぶ1つ上のパラグラフだけでも誰かの目に入って、自分が悲しい・つらいと思った時は素直に自覚していいし、誰かに比べられるもんじゃないとおもっていただければ幸いです。

 

ふぅー、落とし所がなかったのでこの辺でいいのではないでしょうか。ホント、ダラダラ文章書くのって楽でいいですよね。お仕事だときっちりまとめないとですからね。オマケにぼくは新人ですから。今のうちに意識しておかないとダラダラ書く癖がそのままメールに反映されてしまうので。

 

3つ目のオマケが出たところで、終わりにしましょう。ダラダラ書き続けてしまうので。これをダラダラと読んでくれた人にも何かいいオマケがあることを願っています。2021年のrtyaoでした。

頭が痛い

こんばんは、頭痛の最中ブログ継続成功、rtyaoです。なんだか頭が痛いので書けるところまで書いて途中で放棄するかもしれません。

 

ぼくの頭が痛くなったのは今朝起きた時から。なんだか頭が重たいと感じて、空腹時にもかかわらずバファリンを2錠飲んでしまいました。あんまり効きませんでした。

 

水分不足かなと思って水を飲んでも、腹が減ってるだけかなとご飯を食べても治りません。でもちょっとは良くなりました。

 

今日は買い物をしたのですが、そのあと外食をして帰ってきたらまた頭が痛くてぼーっとしてしまいます。そのまま現在に至るという感じです。

 

薬を飲んでも治らないってことはたぶんスマホの画面の見過ぎだとおもいます。朝から痛かったのは前日の夜遅くまでYouTube見てたからかと。現代病って感じですね。

 

こうなってくると難しいことは考えられません。論文を読むとか課題をやるほどの集中は現在の状態では保てません。かろうじてなにも考えずに文章をうつのが精一杯です。

 

こうしてやらなければいけないことを全くできずに正月が過ぎ去っていきます。毎年そうです。なにかと理由をつけてはサボるのです。自己嫌悪とともに新たな1年を始めがちです。

 

なんでこんなに集中できなくなっちゃうんでしょうね。頭がぼーっとして頭の中があったかくなるとぼくは考えることができなくなってしまいます。これは頭が痛い時だけじゃなくて物理的に頭が熱い時もそうです。テスト前の朝はシャワー浴びるのを控えていました。シャワー後はぼーっとして集中できない状態がしばらく続くので。

 

これってみんなそうなんですかね?自分だけ症状が普通の人よりちょっと重いだけで正常の範囲内なのかな。ここまで普通の生活は送れてきているので、病気ってほどではないと思うんですけどね。

 

こういう状態になるともう何をしたらいいかわかりません。無為に時を過ごしてただただ眠くなるのを待つしかありません。現代っ子のぼくはすぐYouTubeを見てしまうので、症状が悪化してしまうのですがそんなのお構いなしです。そしてまた次の日にスッキリ目覚めれないという悪循環。

 

ぼくの症状がこれより重かったらもはや日常生活に支障が出るとおもいます。というか表に出てこないだけでそうやってドロップアウトした人もいると思います。意思の弱いぼくですから一歩間違えればそっち側です。

 

でもこうしてブログは続けられるのでまだギリギリこっち側、普通の人間側にいれるのではないでしょうか。意思の強さって大事ですね、隠れた重要スキルだと思います。日常のダラダラした時間をなくしたらぼくの人生は半分ぐらいになってると思います。それぐらいダラけた時間の占める割合が高いのです。

 

こんなことをいうぼくですが、一応人生ここまで大きな挫折なく過ごしてきたつもりです。でもいつこの怠惰な性格が災いしてこの日常から脱落させられるのか日々考えては怯えています。

 

連絡を忘れたり遅刻したりやらなきゃいけないことを後回しにしたり。これらのことを完璧にこなせる人間ではありません。こと遅刻に関して、というか早起きに関してはなかなかに苦手な部類です。社会人生活が始まれば毎朝9時ぐらいには出社です。つまり7時に起きなければならないということ。

 

しかも5日連続で。いままでにやったこともないようなことをこなしつつです。そんなん不可能でしょ。なんでみんな社会人やれてるんだろう。たぶんみんな社会人になる前は同じこと言ってるのかな。

 

ぼくも根は真面目なので最初は緊張やら使命感やらでちゃんと早起きしていけると思うんです。でも慣れてきてちょっと隙ができるとすぐダラけてしまう。そうやって脱落するルートがもっとも可能性あるんじゃないかと思いますね。いやーこわいこわい。

 

ここでフラグを立てておくことで、この慣れてきた頃にという線は消えると思います。あらゆる可能性を想定すればそのことは起きない、そうやってぼくは生きてきました。

 

例えば次の日が大事な試合だとして、ぼくはどうしてもヒットを打ちたいと心から思うとします。そういう時はだいたいぼくはヒットが打てません。反対にどうせ打てないんだと心から諦めてる時に限ってポーンと良い当たりを飛ばせるのです。ぼくの思考は天の邪鬼です。

 

だからこれを利用して、どうせ打てないんだろうなという心持ちに自らを錯覚させると、打てないのです。不思議ですよね。ヒットを打つために「打てないと思えば打てる」という法則を利用しようとするとダメなんです。本当に心から思ってる時に限り有効なのです。

 

だからテストで本当にミスったと思ったらそんなことなかったり、これはイケたでしょって思ったら思わぬところで失点してて案外ダメだったり。でもその感情を利用することはできないのです。

 

でもこれも単なる記憶の取捨選択の結果でしかないと最近は思うようになりました。打てないと思って打てた時って、打てると思って打てた時より印象に残りますよね。だって想定していた結果とは違うものになるのですから。だから記憶に留まりやすい。打てると思って打てた時もあるだろうけどそういう記憶よりも、打てないと思って打てた時のほうが強烈に記憶できるから、この法則通りに事が起こってると、ぼく自身が錯覚しているのです。野球の試合だけじゃなくてゲームでもテストでも。

 

なんか難しい話ですね。ぼくは思考を言語化することが苦手なので、ほかにいい例えとか伝え方がわからないので上のパラグラフとか特にややこしやって感じだと思います。おまけにぼくは頭が痛いのです。ぼーっとする中で書ける精一杯のわかりやすい文章です。

 

なんだか書いてるうちに頭痛が治まってきた気がします。なのでこの文章もう終わらせてやりたかった筋トレをしたいと思います。また悪化しそうな気がしますが。

 

みなさんは頭が痛いと思ったときはスマホを捨てて早く寝ることですよ。ぼくは頭痛い時にスマホ見てたら悪化するだろうと心から本当に思っていたので、もしかしたら法則どおり頭痛が軽くなったのかもしれませんね。筋トレしても悪化すると思ってるのでさらに良くなるかもしれませんね。と、思ってしまった時点でこの法則はもうダメです。実にややこしやです。

 

文章の終わりにしてはまとまりがないですがこんなところで

占い

よし今日もブログ継続、rtyaoです。いまは長い長い電車の中でこの文章を書いてます。年明け2日目みなさんいかがお過ごしでしょうか?

 

初詣、行きましたか?ぼくは行きました。年に一度のビッグイベントです。宗教に疎いぼくでもさすがに知っています。

 

元旦の日はあったかかったですよね。そもそも天気が良かった。こんなさむがりなぼくでも神社に行けました。チャリで20分のとこです。

 

いや外があったかかったんじゃなくてユニクロのダウンが素晴らしいあたたかさを提供してくれただけなのではないのか?買ってよかったスマートダウン。

 

ユニクロのスマートダウンのおかげで寒さを感じることなくもうでられたわけですが、初詣ってなんかあらゆる所作というか行動にさまざまな説があってめんどくさいですよね。

 

にれいにはくしゅいちれいってうったらちゃんと変換してくれ。二礼二拍手一礼も遠い昔に誰かに言われた通りに続けてるだけだし、おみくじはひいたら指定の木とかひもに結んで行くとか願いが叶った時に初めてひもに結ぶとか。

 

ぼくは宗教に疎いので何にも正確なことはわかりません。二礼二拍手一礼については訪れた神社に書いてあったので少なくともそこでは正しいようです。

 

おみくじに関してはとりあえず財布に入れといてあとで結ぼうと思うのですが、例年次の初詣まで財布に残ったままです。めんどくさがりの本領発揮ですね。

 

正直神様に願いを叶えてもらえるとは思っていません。だって普段信仰していないのに都合のいい時だけお願いするなんてムシがよすぎますよね。普段無関心だからどんなときでも無関心であろうという意地でもあります。

 

こんなこと言うとバチが当たりそうという感覚はあるので、「神様に願いを叶えてもらえるとは思っていません」ではなく「神様にお手を煩わせるわけにはいかないと思っています」としましょう。ぼくがもうでた時に願うことは、あくまで神様的にお手すきだったらついでに叶えてあげてくださいぐらいのテンションということです。

 

あの場で本当にお願いしてもいいのは、日常で起きた良いことも悪いこともすべて神様に結びつけて考えている人だけだと思います。つまり神道?という宗教を信じている人。「こんな良いことが起こった神様ありがとう」とか「こんなにひどい災害が起きるなんて神様がお怒りに違いない」とかそういう思想にナチュラルになる人です。信心深い人の優先順位は高いはずです。神様レベルだとそうでもないんですかね。

 

こんなことを言ってますがぼくは宗教を否定してるわけではありません。人間何かにすがらなければ生きていけないとは思いますし、宗教を信じているひとはたまたまその対象が神様であるということだと思います。ぼくだってこの世からコカコーラがなくなれば身を投じる程悲しくなるだろうし、ペットや恋人が生きがいの人もいると思います。周りに危害を加えない限りそういう自由は保障されるべきだし、関係ない人の信仰に口を出す権利はぼくにはないです。反対にぼくも他人にコカコーラのことをとやかく言われる筋合いはありません。

 

そして本当に信心深い人しか初詣に行くなという過激な意見も持ち合わせておりません。ぜんぜん自ら行っちゃってますし初詣。仮にその意見のもと初詣を否定したとて、何か日本のお正月が変わるわけではありませんね。そんなことに割く労力もございません。

 

ぼくが今日言いたいこと、初詣って宗教的なイベントというよりはみんなが集まる理由みたいな意味合いが大きいなということです。2020年になるまでに何万回と言われてきたであろうことを改めてぼくが言います。

 

日本人の多くは無宗教だと思います。具体的なデータは持ってないのですが、ぼくの周りで何かを信仰している人はほとんどいませんしみなさんも感じるところだと思います。感じない人ももちろんいると思いますし、いてもぜんぜんだいじょぶです。ただ言いたいことの前提が崩れるのでこの先読むのはダメです。

 

それなのにみんな1月1日になったら、新年が明けたらこぞって神社に押し寄せ、時に列を成していち早くもうでようとするのです。一体そのうちの何人が少しでも早く神様に挨拶をしようと考えているでしょうか?

 

ぼくは本当に孤独だったらもうでに出かけるのも面倒くさいので行かないと思います。誰かに誘われて毎年行っています。家族とか友達とか恋人とか、そういう人も多いんじゃないでしょうか。

 

人に声をかける口実になりやすいんじゃないんでしょうか、初詣に関わらずこうした行事は。広く国民に浸透している数少ないイベントですよね。毎年海に行く人もいれば、海に行きたくない人もいます。でも初詣誘われて拒む人って海よりはいないんじゃないでしょうか。

 

さっきから文末がでしょうかばっかですね。推測に基づく議論するに値しない意見だということは自明ですが、ブログなんてそんなもんですよね。少なくともぼくのブログはそうですね。

 

個人的に飲み会も初詣もあんまり変わらないと思います。集まる口実という意味で。家族が年に1度集まるための年末年始の初詣、ぜんぜんアリですよね。家族で飲み会はやらないかもですけど。友達と集まるのに飲み会が定番で、1月はちょうど初詣に行く風潮があるからそれが利用される。それだけのことで結局のところイベント自体より人と会うことに重きが置かれているという点で、イベントの内容はなんでもいいのです。と思うのです。

 

こんなこと言うと、神道を信じる方はそんなことはないと言いたくなると思いますし、神にお仕えの方は否定したくなると思います。でもそのような方々からすればこの意見は間違っている、ぼくからすればこの意見はある程度理解が得られる、それだけのことではないでしょうか。宗教的意味合いはまったくもって否定してません。念のため。そしてこのパラグラフは予防線です。

 

なんだかダラダラ書きすぎて何が言いたいのか自分でもわかりません。ぼくの弱みです。自分の意見を整理して人に伝えることが苦手です。この場合はそもそも意見がまとまっていなかったんだと思います。面接が苦手なわけです。

 

ここまで書いたうえで上記の内容はあんまり覚えていませんが、要約すると、初詣は宗教的イベントではありますがその本来の目的から離れて人と人とが集まるための口実にもなっていることが、ぼくの周りで多いというだけのことです。

 

これだけのことを言うのにかんなり労力を費やしました。しかもタイトル関係ないし。もう疲れてしまったので本来言いたかったことは書けません。タイトルに関することです。また気が向いたら話します。

 

そろそろ目的の駅に到着しそうです。また改めて書き始めるのにさらに時間を要しそうなのでここでやめときます。電車のようにぼくの文章も分岐して行くはずのない駅に来てしまいました。上手いですね。今日のぼくは冴えてます。

 

ぼくはといえばきちんと予定していた駅に着いたので安心してください。本当にもう着くのでそれでは〜

継続成功

こんばんは。新年明けてブログのこと思い出しましたrtyaoです。危うく継続失敗するところでした。

 

みなさん令和2年が始まって2時間経ちますがいかがお過ごしでしょうか?ぼくはベッドの中でこの文章をフリック入力しております。

 

晦日の深夜から全国のお寺や神社の様子を中継でつないで年を越すという番組を見ていたのですが、めちゃくちゃ寒いにも関わらずとってもたくさんの人々が初詣に向かっていて時に列を成しており、寒そうで大変だなと感じました。令和元年最後の感情だったと思います。

 

ぼくはといえば徒歩30秒のコンビニに向かうのでさえ凍えてしまい、とてもチャリで20分の神社には向かえませんでした。初詣は朝に持ち越しですね。

 

コンビニで年越しうどんを買う時、新年明けたから店員さんにおめでとうございますって言われるかな〜とぼんやり思っていました。でもいつも見るバイトの店員さんはいつもと変わらずありがとうございますと言っていました。ぼくもありがとうございますと言いました。

 

新年といえば福袋ですよね。ぼくは毎年いつも父方の祖父母の家に帰省していたので、自由に出歩くことができず買う機会がありませんでした。

 

福袋、なにが出てくるかわからないけどおもしろそう。そんなお楽しみ感と手に届かないもどかしさが毎年のようにぼくを駆り立てていました。

 

現実は売れ残りなどを適当に詰め込んでいい感じにして売っているだけの在庫処分、少なからずそうだと思います。受験だ何だで毎年帰省することがなくなってきて、バイトもできるようになった頃にはそのことに気付いてしまいました。

 

昔と今で福袋の中身が変わってしまったのです。より正確に言えば中に入っているものの価値がわかるようになってしまったのです。あのなんとも言えないドキドキワクワクは消えて無くなってしまいました。

 

子供ながらに夢見たあの福袋は大人になったぼくにはもう買えないのです。福袋を自分で買えるようになった時にはそこに福袋はもうありませんでした。こんなに悲しいことがあるでしょうか。令和2年最初の感情だと思います。

 

楽しいことを考えようと思います。年明けなのですから。何か買い物をしたい気分ですね。年明けなので。

 

去年の最後のちゃんとした買い物はユニクロのダウンでした。ぼくはモコモコボフボフしてるのが嫌なのでダウン買ったことなかったのですが、さすがにそれだと外は寒いのです。

 

いつも薄めのコートとかしか持ってなかったのでよく会う人会う人に寒そうと第一声で言われてしまいます。人の見た目を必要以上に気にするぼくは直接見た目に言及されることで恥ずかしさから体温がとてつもなく上がります。そうして冬を乗り切ってきました。

 

しかしこの冬韓国に行くことになりました。冬の韓国はとてつもなく寒いと聞きます。オマケに言語が違うので前述の作戦が使えません。なので仕方なくダウン的サムシングに手を出すことにしました。

 

でもぼくは必要以上に見た目を気にするのでダウンなんか着てたらコイツなにモコモコしてんだよって思われそうで嫌だったのです。なるべくスマートなやつを買おうとめちゃくちゃ探しました。

 

するとユニクロのダウンでなんだかすっきりしたやつが売っています。ダウンなのにモコモコボフボフしてない!あのモコモコのあまりできてしまう段々ができてない!それはあまりにスマートなダウンでした。オマケにとても軽いらしい。

 

ダウンに行き着くまでに厚めのマウンテンパーカーを探していました。あったかいやつは大体2万ぐらいするのか、高いと4,5万余裕でいくんか。そうした感想を経てのユニクロのスマートダウン。わずか8千円強。お値段もスマート。

 

晦日の激混みのヨーカドーに向かいユニクロでお目当のスマートダウンをゲットしました。みんな買い求めているようで在庫は残りわずかでした。あってよかった。

 

これでこの冬乗り切れます。もう早く着たくて何回もコンビニ行っちゃってます。でも寒いんですこれが。上も下もあったいから逆に無防備なところの寒さが際立つ。手や首元など。

 

でもちゃんと手袋してマフラーしてあったかパンツはいてスマートダウン着ればもうどこ行っても無敵だと思います。見た目に言及されるととんでもないことになるので外見に関しての発言は避けてください。

 

話を戻して、令和2年最初の買い物もこれぐらい良いものにしたいなと言った心持ちです。パッと頭に浮かんだのはパソコンかスマホかの映像をプロジェクターの要領で天井とか壁に映せるやつ。それをプロジェクターというのか?

 

あれがあれば結構プライムビデオとかYouTubeとか夜寝る前に見るぼくのQOLがあがる気がするんですよね。しかも画面から離れてるから目にいいし適当に寝落ちできそう。画面近すぎると目が覚醒しちゃってなかなか寝れないんですよねいまみたいに。

 

あとはあったかめのアウターもう1着とか。おんなじダウンばっかきてるとあいつおんなじのずっと着てるよとか思われて、それ以外持ってないのって見た目に言及されかねないので。単純に服買うのも楽しいですし。

 

よし今日もいい感じに書けた気がします。新年に向けた楽しみで締めくくれました。みなさんも買い物は楽しいものだと思うので自分にとっての最高なものを買ってください。ユニクロのスマートダウンほんとにイイですよ。

 

これでブログ継続成功イエーイ

継続は力なり

こんばんはrtyaoです。今日からブログを始めたいと思います。「継続は力なり」ってよく言いますよね人は。ブログにおいても重要なのかなと思います。

 

ちょこっと調べてみるとブログは内容より何よりとにかく少しでもいいから毎日とか週一とかで続けて書くことがヒットするコツみたいです。

 

ぼくがブログをはじめたきっかけは、とりあえず自分の文章をこの電子の海に流したい、カッコよくいうとそういうことになります。ただ、続けられなきゃ意味がないですね。

 

実は1年前くらいにとある自分なりの経験をもとにブログをはじめたのですが、忙しいのと内容を一々考えなきゃいけないのが相まってぜんぜん更新できませんでした。継続するってなかなかに難しいんですよね。

 

思えばぼくはコツコツやることが苦手でした。夏休みの宿題とかも最初と最後にやって結局間に合わないし、定期テストも一夜漬けで乗り切るタイプでした。スポーツでも毎日これだけ練習をやろうみたいなのは人に言われないとできませんでした。

 

めんどくさがりなんですよね。心が弱いので、少し疲れてたり予定が重なると「あとでいいや」となって習慣が途切れてそのまま放置。人生の中で幾度となく繰り返してきたルーティンです。1番最近の例が途切れたブログです。

 

ブログ、続けて書かなきゃ意味ないらしいです。先ほども言いましたね。でも一々伝えたいことを考えて、構成をしっかりして文章にする。そのプロセスはぼくという人間には難しすぎます。

 

ぼくはどちらかというと人といるときはよく喋るタイプだと思うのですが、考えてみればあまり伝えたいこととか考えずにしゃべっていました。大体ツッコむときも反射で突っ込まないとだし、考えずにしゃべってたまーに人に怒られることもありました。

 

適当にしゃべっていたんです。特になにも意見ももたず伝えたいこともなく、ただ会話を盛り上げようとボケたりつっこんだり、うすっぺらい話題を展開していたなと気づきました。

 

書いてみると本当にダメな感じがしますが、ブログもこんな感じで書けばいんじゃないかということにも気づきました。前回のは伝えたいことが決まりすぎていました。

 

ここまでの文章もなんとなく書いています。フリックでチャチャチャッて感じです。でもこれでいいのです。だらだらと長い文章を書くのは得意です。それに話す時と違って書き直せるし。

 

だから思いつくまま書いていくことにしました。今までできなかった「継続は力なり」を体現するためにです。一夜漬けにはならないように、日記でもメモ帳でも予定でもなんでもいいので自由に書いていいこととします。

 

ぼくは思い出してしゃべることは本当に不得意ですが、ゆっくり考えて過去のことを書き出すことは可能です。今日伝えたいことは人には得意不得意があって、不得意な分野で勝負してもそら負けるわということです。今考えました。

 

ここまでよくがんばりました。一歩目は簡単に踏み出せるんですよね、ここからが肝心です。

 

明日は卒論をやらなければなりません。一気にぼくという人が具体的になりましたよね。ここまで読んで初めてわかることですね。年末のプチサプライズです。おめでとう。

 

卒論、コツコツぼくやったんじゃないのと思ったんですけど、教授と院生が設けてくれた各締め切りに一夜漬けをカマしてただけでした。こういう人のために細かく締め切りを作ってくれたんだと思います。本当にありがたい。たぶん教授も同じ人種だと思いますね。

 

はい、じゃあもう3時なのでおやすみ